幕末の剣客集団「新徴組」の足跡をたどる
湯田川温泉
湯野浜温泉
鶴岡市街地
「鶴岡には新徴組がいました」というと、「えっ、新選組ですか?」といわれることが多いですが、どちらも庄内出身の清河八郎が創設に関わった「浪士組」から生まれています。新選組が京都の治安を守ったように、新徴組も江戸の治安を守る役目に就きました。そして、新徴組の監督を幕府から任せられたのが庄内藩です。隊士のなかには腕に覚えのあるものも多く、そのなかには沖田総司の義兄である沖田林太郎がいました。ドラマにもなった女性剣士の中沢琴もいたとされますが、詳しいことはわかっていません。
薩摩藩邸の焼き討ちそして戊辰戦争へ
彼らの組屋敷や役所である本部は現在の飯田橋駅の近くにある黐木(もちのき)坂下にあり、「江戸中より酒井様でなくちや御江戸ハ立やせん」と書かれた史料が示すとおり、その強さはよく知られていました。ちなみに浪士組からは大砲組(後の新整組)という別の組織も誕生しており、彼らもまた庄内藩の管轄下におかれています。1967(慶応3)年になると、徳川家を武力で潰そうとする薩摩が幕府を挑発するため江戸の治安が悪化します。そのため新徴組を含めた庄内藩などの幕府側は、芝にある薩摩藩邸の焼き討ちを決行。この事件をきっかけに戊辰戦争へと突入することになるのです。

庄内藩の戦いと新徴組
新政府と戦うことになった庄内藩は1968(慶応4)年2月に江戸を引き払い、新徴組も隊士136名が、家族311名とともに庄内に向かいました。庄内では、湯田川温泉の宿屋と民家37軒に分宿し、本部は隼人旅館に置かれました。旅館には当時の弾薬箱や法螺貝などが残っており、少し歩けば隊士の墓、剣の稽古をした由豆佐賣神社(ゆずさめじんじゃ)などがあります。一方、新整組と名を変えた大砲組は湯野浜温泉で分宿。戊辰後には、桑名藩兵も湯野浜にいたことがわかっており、彼らの墓が大山の専念寺に残っています。
4月になると新政府軍が迫ってきたため新徴組も出陣。初戦となる清川口の戦いから参加しており、各地を転戦しました。訛りがない者も多かったため探索方として諜報活動に従事したと言われていますが、奮闘もむなしく庄内藩は降伏。新徴組からも5人の戦死者が出ています。

戊辰戦争後の新徴組
戦後は、湯田川から城下の大宝寺村に建てられた組屋敷に移り、新整組も番田村の組屋敷に移って、庄内士族として明治の世を迎えました。その後、松ヶ岡の開墾事業に参加しますが、元々庄内とゆかりのない者ばかりであったため、その多くは庄内を離れ、1875(明治8)年の段階では39人の隊士が組屋敷に残っているだけでした。当時、新徴組の隊士らが住んだ組屋敷は一棟だけ松ヶ岡の開墾場でいまも保存されています。
江戸の治安を守るために奔走した新徴組の隊士たちは、庄内藩に組み込まれて戊辰戦争を戦い抜き、戦後も開墾事業に携わるなど激動の人生を送りましたが、その間わずか十数年の出来事でした。しかし、その活躍の跡は今も庄内の地に残っています。
「新徴組」の足跡をたどる―関連スポット

湯田川温泉は鶴岡の市街地からもほど近い閑静な温泉郷。近くには300本あまりの梅を有する梅林公園や、幕末の志士新徴組の墓所、映画「たそがれ清兵衛」のロケ地でもある由豆佐売神社などの散策地があります。「湯田川孟宗筍」は春の味覚として親しまれています。
湯田川温泉 | https://www.tsuruokakanko.com/spot/179 |
住所(マップ) | 鶴岡市湯田川 |

湯田川にある新徴組隊士の墓。湯田川在住中に没した隊士とその家族20名の慰霊が眠っています。
新徴組隊士の墓 | https://www.tsuruokakanko.com/spot/1119 |
住所(マップ) | 鶴岡市湯田川 |

湯田川温泉街の地域の守り神、出湯と水の神様をおまつりする由豆佐売神社。温泉街にある公衆浴場「正面の湯」の先に位置しています。
由豆佐売神社 | https://www.tsuruokakanko.com/spot/7050 |
住所(マップ) | 鶴岡市湯田川岩清水86 |

湯野浜温泉は海辺の温泉郷。広大な砂浜と日本海に沈む夕日は絶景です。お宿によっては、入浴しながら望む日本海の夕日が楽しめます。
湯野浜温泉 | https://www.tsuruokakanko.com/spot/174 |
住所(マップ) | 鶴岡市湯野浜 |

松ヶ岡開墾場。明治維新後、庄内藩士たちが拓いた緑豊かな大地は、国指定史跡として指定を受けています。その中に瓦葺上州島村式三階建の蚕室が五棟現存し、一棟が修復されて松ケ岡開墾記念館となっています。
松ヶ岡開墾場 | https://www.tsuruokakanko.com/spot/275 |
住所(マップ) | 松ヶ岡開墾場 |

鶴岡市郷土資料館は、庄内地方に関する郷土図書や、歴史を調べるための古文書・昔の地方新聞などがそろっています。貴重な資料の一部を除き、どなたでも自由にご覧いただけます。

致道博物館は、鶴岡公園の西隣に位置する、庄内藩主酒井家の御用屋敷地だった場所に立つ博物館です。国指定重要文化財の旧西田川郡役所や、旧渋谷家住宅(多層民家)、旧鶴岡警察署庁舎など、貴重な歴史的建築物が移築されています。