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出羽三山の山伏が語る!知られざる山伏の秘密

羽黒エリア

手ぬぐいスタンプ設置箇所

かつての出羽国、現在の山形県のちょうど真ん中に位置する3つの山は、1400年以上も前から信仰の対象として、修験の山として庄内地方だけでなく、全国から崇敬を集めていました。羽黒山(414m)は現在、現世の幸せを祈る山として、月山(1984m)は過去、死後の安楽と往生を祈る山として、そして湯殿山(1504m)は未来、生まれかわりを祈る山とされ、出羽三山を詣でることは「生まれ変わる」こととされました。

出羽三山の力を求めて山伏たちが集まり、厳しい修行を行う一方、一般の参拝者にも人気は高く、とくに江戸の頃は、「西の伊勢参り、東の奥参り」と遠方からも多くの人が出羽三山を目指しました。
現在も日本古来の、山の自然と信仰の結び付きを伝える山として国内外から高い人気を誇っています。

代々宿坊を営む家に生まれ育ち、ご自身も山伏である出羽三山神社の吉住さんに出羽三山の山伏について教えていただきました。

山伏と羽黒山石段

厳しい修行で潜在的な能力を引き出す

―― 山伏とは何者なのでしょうか。
吉住 修験道の修行者のことを山伏(修験者)といいますが、読んで字のごとく、山に伏す者です。なぜ、山かといえば、山を神様や仏様に見立てているからで、修験道も日本古来の山岳信仰に神道や仏教、道教、陰陽道などが混じりあって確立された信仰の形態です。
山伏は、山にある神が宿るとする木や岩などの自然物を拝みながら山中をかけめぐり、厳しい修行に挑むことで自らの力を高め、人間の潜在的な能力を引き出す存在です。

―― 山伏はいつから出羽三山にいたのですか。
吉住 出羽三山は593年、今から1400年以上前に崇峻天皇の御子である蜂子皇子が開山したといわれ、山伏の修行も蜂子皇子がはじめたといわれています。一般的に修験道の開祖は役小角(えんのおづぬ)といわれていますが、出羽三山では、役小角もここに来て修行をしたといわれています。

―― 江戸時代「西の伊勢参り、東の奥参り」といわれるほど人気だったとか。
吉住 出羽三山が江戸のある武蔵を含む「東国三十三カ国総鎮守」とされたこともあったのでしょうが、月山のご祭神がツクヨミノミコトで、伊勢神宮のご祭神であるアマテラスオオミカミの弟にあたるため、太陽の神である伊勢を詣でるのなら、月の神様も詣でないと、一方しか参らいない片参りになると、当時のガイドブックに書かれたこともあり、大人気になったようです。  

―― 江戸からも多くの人が歩いて来ていたとは驚きです。
吉住 当時は宿坊が330坊あったといいます。
そして、宿坊ごとに霞場(かすみば)という担当地域が決まっていて、北は青森から南は東京あたりまでを羽黒山寂光寺、いまの出羽三山神社が免許状のようなものを与えて担当していました。

―― 羽黒山には天狗の伝説も多いですが、山伏と天狗の関係は。
吉住 羽黒修験に限らず、東京の高尾山や京都の鞍馬山など、山岳信仰の山には天狗がつきものです。天狗とは木々の間を飛び交い、力を自在に操るといった山伏の想いを擬人化した存在で、山伏の理想や象徴のようなものだといえるでしょうね。

山伏と羽黒山石段

苦しいことも楽しいことも受ける「うけたもう」

―― 山伏が言う「うけたもう」の意味は。
吉住 「うけたもう」というのは、受け賜わるということで、すべてがイエスであり、ノーはないということです。これは大自然の神、仏に対しての姿勢で、仮に「死ね」と言われても受けたもう、苦しいことも楽しいことも受けたもう、そういった精神で修行に臨みなさいという言葉なのです。

―― どんな修行を行うのですか。
吉住 言える範囲で説明しますと、生まれ変わりの修行ですから、まずは死ぬ儀式、葬式をあげます。その後、生まれ変わるため自分が精子となって胎内に見立てた山に入り、胎内である山で修行をし、再び「生」を得ます。
具体的には、山の拝所を掛けめぐり、籠堂では勤行に励むといったことが主な修行です。食べたい時に食べない、寝たい時に寝ないという、生命の極致に追い込むこむことによって、人間がもっている本質的な力が引き出され、五感も研ぎ澄まされるということです。
例えば、当たり前にご飯を食べていますが、空腹を感じることで、米の一粒一粒を感じ、その甘さに気づくことができますし、食に対する感謝が生まれます。
この当たり前に感謝できるようになることが、現在、修行される方にとっての最大の魅力じゃないでしょうか。昔の人は荒行に挑み、特別な力を得たいということでしたからね。

―― 一般の人は山伏になれるのでしょうか。
吉住 かつては年に4回、四季の峰として季節ごとに入峯修行(にゅうぶしゅぎょう)が行われていましたが、現在は3回。中でも一般の方が山伏になる秋の峰入り、別名出世の峰がもっとも知られています。
参加条件としては健康な男性であること。そして、家族の同意も必要で、書類選考もあります。また、籠堂に150人ほどしか入れないので、多い時には300人から400人もの申し込みがあり、その時は、神前でのご神託、抽選で選んでいます。

―― 女性や外国人は山伏になれますか。
吉住 かつては女人禁制でしたが、現在は、秋の峰入りと同じ秋に神子修行と呼ばれる女性だけの山伏修行を行っています。山中のお堂に籠り、荒行も行います。
一方、外国人の方で、一神教の方から見れば、多くの宗教が仲良く同居する修験道は不思議なものだと感じるようですが、欧米の方を中心に既に多くの方が秋の峰入りに参加されていますよ。言語対応も問題ありません。「うけたもう」しかありませんからね。

―― 山伏はどのようなものを食べるのですか。
吉住 修行の時は肉や魚といったものを断った菜食の精進料理で、一汁一菜の質素な食事です。しかし、普段の生活での制限はありません。もちろん僧侶であれば、それぞれの宗派の決まりごとに沿った食事を摂っています。
羽黒山の精進料理は山の気をいただく考え方で、身体に必要なたんぱく源は取れますが豪華ではなく、基本は山で採れたものをいただきます。ですから、肉や魚を中心の食生活を送っていた方が、例えば百日行に参加すると、はじめの2、3週間は身体に力が入りません。ところが、食事に体が慣れてくると活発に動けるようになります。菜食が体に良いということがわかりますね。

山伏とほら貝

自然エネルギーを取り込む摺衣

―― 山伏の服装が白装束である理由はなんですか。
吉住 そもそも生まれてきた赤ちゃんの産着は白ですし、死ぬときも白装束です。白には清められ、穢れの無い意味があり、生まれ変わりの装束です。
羽黒修験でも、羽黒山を現在、月山を過去、湯殿山を未来に見立て、生きながらに新たな魂として生まれ変わる、三関三渡(さんかんさんど)の行に白装束で臨みます。
また、その上には摺衣(すり)を着ています。そもそも摺衣とは、木々の葉を重ね合わせ衣にしたもので、現在では模様や色は仏教や神道、その地域で違いますが、羽黒修験は市松模様の摺衣です。この衣を木や岩など山のものに摺ることで自然のエネルギーを自分に取り入れているのです。

―― お注連(おしめ)をされた方もいますね。
吉住 お注連は出羽三山独特のもので、身を清め、結界を創り、山中の魔が入らないようにした裃を簡略化したものです。
もし、出羽三山に詣でるのであれば、お注連をすることで身も引き締まり、良い参詣になると思いますよ。もともとは宿坊の奥方様が、各々の霞場の道者(参詣者)につくっていたのですが、今は、2446段の石段を登拝される参詣者にお分けし、記念として持ち帰っていただいています。

山伏とほら貝

山伏とほら貝


―― 山伏が持つほら貝にはどんな役割があるのですか。
吉住 もともとは合図として使われていました。例えば、山伏たちは山の中でバラバラに生活していますから、集まるとき、危険が迫っているときなど、それぞれ吹き方を変えて合図を送るなど、連絡手段として使っていました。
それが時代を経て、お祓いであったり、魔よけに使われたりするようになっています。ほら貝を使うことは、山伏だけのものではなく、海外では楽器として使われる場合もあり、角笛とともに現代の管楽器であるホルンの原型ともいわれています。

―— ほら貝は南洋の貝ですが、昔はどこから手に入れていたのですか。
吉住 ほら貝は紀州半島の海で採れていたようで、出羽には熊野修験から入って来たと思われます。当時から山伏同士の交流があり、それは熊野だけでなく全国規模のネットワークになっていたようです。同じ山伏、争いや競い合いもありましたが、互いにリスペクトしていたのでしょうね。

―— ちなみにほら貝を吹くのは難しいですか。
吉住 簡単には吹けませんね。管楽器を吹ける人は上達も早いですが、吹き方は全然違っています。楽器は頬を膨らせず、唇の正面からに吹きますが、ほら貝は頬を膨らませて横から吹きます。私は管楽器をやっていたので2、3か月で吹けるようになりましたが、半年、1年かかる人もいますよ。

山伏と羽黒山石段

神仏を近く感じられる山伏の存在

―― 観光客は、山伏に話かけてもいいのでしょうか。
吉住 本来の修行中であればよろしくないのですが、本格的な修行を行っている時は観光客の方とお会いするような場所にはいません。また、人に説くことも修行のひとつですから、話しかけてください。ただ、口下手な人が多いですけどね。
山伏と歩けば神や仏を近く感じられると思いますし、ひとりでも多く、自然が大事なものだということや感謝の心の大切さを山伏から感じていただければと思います。

吉住さん
インタビューにお答えいただいた出羽三山神社の吉住さん
【山伏と歩く 生まれかわりの旅 出羽三山】