藩校 致道館

致道館の写真

天性

人は生まれつき、得手・不得手があるのだから
一人ひとりの優れている面を伸ばすようにしなさい。


(国指定史跡)
◆開館時間 午前9時~午後4時30分
◆休館日 毎週水曜日(祝日の場合は次の平日)、 12月29日~1月3日
◆入館料 無料
◆住所 山形県鶴岡市馬場町11-45
◆電話 0235-23-4672


 ■ なぜ建てられたのか /致道館のあらまし

庄内藩校 致道館図

18世紀の後半、庄内藩は「行きづまった財政をどうたてなおすか?」「暮らしに困っている農民たちをどう救うか」などの問題のほかに、その頃、藩士たちが はでな暮らしをし、武士らしくないふるまいをする者が増え、藩の将来を思う庄内藩主酒井家9代・酒井忠徳(さかい・ただあり)は心を痛めていました。

忠徳は藩の郡代である白井矢太夫(しらい・やだゆう)に相談し、「学校を作って立派な人間を育て、武士たちの心の乱れを正して藩政をたてなおそう」と決心しますが、藩の財政が火の車の時でしたからどうにもなりません。農政改革の実施などで、農民たちの暮らしが少し楽になり、藩の財政が落ち着いてきた寛政12年(1800年)に、ようやく学校を建てる命令がだされ、文化2年(1805年)に校舎が完成しました。致道館の名前は、論語にある「君子ハ学ビテ以テソノ道ヲ致ス」から名付けられたものです。

「人はうまれつき得手・不得手があるものだから、一人ひとりの優れている面を伸ばすようにしなさい」忠徳が開校にあたって先生方に出した教育指針にはこのような言葉があります。致道館では、天性(生まれつき)の能力と自主性を重んじた教育がなされました。

校舎ははじめ、大宝寺(だいほうじ・現在の日吉町)にありましたが、11年後、政治と教育を一致させようと考えた酒井家10代藩主 酒井忠器(さかい・ただかた)によって現在の場所に移され、藩の役所とかねて使われていました。多くの優れた人材を世に送り出したのち、廃藩置県により、明治6年(1873年)に廃校となりました。その後、県庁舎や警察署、小学校に使われたり、一部は取り壊されたり売られたりなどのはげしい移り変わりがありましたが、現在、東北地方に残るただひとつの藩校建造物となっています。昭和26年(1951年)には、優れた文化遺産として国の史跡に指定されました。

 
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