天澤寺/丸岡城跡

丸岡地区は、庄内と山形県内陸部を結ぶ旧六十里越街道に対する要地。鎌倉時代より、当地方を支配する武藤氏の支城がおかれていました。

この丸岡にある天澤寺は、加藤家終焉の地としての史実とともに、「清正公が眠る菩提寺」として、全国から多くの参拝客が訪れます。参道では、禅の思想を具現化した理想的な人間像という十六大阿羅漢が出迎え、加藤清正公の墳墓(五輪塔)や清正閣をはじめ、綴錦織の世界的巨匠 遠藤虚籟の糸塚などがあり、秋深くなる頃、境内の大いちょうの木が黄金の美しい彩りを放ちます。

天澤寺の写真
 
天澤寺 山形県鶴岡市丸岡字町の内36
電話 0235-57-2252
 

加藤清正公墓碑は、丸岡の人々から「清正公様(セイショウコウサマ)」の愛称で呼ばれ、毎年7月下旬には、「清正公祭」が行われます。

天澤寺・丸岡城跡案内図

丸岡城は、鎌倉時代から天正年間まで、当地方を治めた武藤氏の時代、大梵字(鶴岡)の南方、六十里越口と大鳥越口のおさえの要地として、後に武藤家尾浦城主となった丸岡兵庫頭義興が在城しました。武藤家のあと上杉氏、さらに最上氏が領有しましたが、元和元年(1615年)の一国一城令により城の楼閣は取り払われました。最上氏改易の後、元和8年(1622年)に酒井氏領となりました。

寛永9年(1633年)、加藤清正公の嫡子・肥後五十四万石の領主加藤忠廣公が幕府に領地を没収され、庄内藩酒井氏に預けられました。酒井氏は、この城跡に忠廣公と生母正応院様の居館、女中の長つぼね、家臣の長屋などを新築しました。この館が丸岡大火によって消失したため、忠廣公が京都にあった館を移築し、承応2年(1653年)忠廣公逝去まで居住しました。忠廣公没後、領地は幕府御領となりました。

天澤寺の南側に外堀を挟んで県指定史跡「丸岡城跡」があります。史跡公園として整備され、城跡の広さは約2ヘクタールで、発掘された建物基礎石遺構や庭園池の復元、石敷き道路、水路跡などを露出展示し往時の丸岡城を偲ばせています。
地元観光ガイドによる案内も実施しております。(要予約)

丸岡城跡は、昭和24年の発掘調査によって推断された天澤寺の「加藤清正墓碑」とともに、昭和38年に山形県指定史跡となりました。

糸塚の写真  
籟綴錦織曼陀羅糸塚 (きょらいつづれにしきおりまんだらいとづか)
 
遠藤虚籟(本名順治1890-1963)は、わが国綴錦織工芸界を代表する世界的巨匠で、ニューヨーク国連本部の「阿弥陀如来曼陀羅中尊」は、余りにも有名です。
戦中、疎開のため古里 鶴岡市に帰郷の折り、丸岡の天澤寺仮寓、制作に励みました。糸塚は、その際の端糸、屑糸となった糸を埋葬、師の世界平和、万霊供養の願いを顕彰するため建立されたものです。