
天保10年(1839)〜大正5年(1916)
鶴岡に生まれ、旧姓名を戸田總十郎といい、致道館に学ぶ。
文久3年から慶応元年まで、父に従い蝦夷地警備についた。
戊辰戦争では幕僚、機事係(他藩との交渉役)として活躍した。
庄内藩の降伏後、松本十郎と名を変えて上京し、藩の戦後処理に奔走。新政府の要人と交友を深め、折衝に当たった。
1869年、黒田清隆の推薦で北海道開拓判官として北海道に渡り、漁場を開発し、北海道最初の灯台を建設、また原野の開拓に力を尽くした。アイヌの信頼を得て「アツシ判官」(アイヌの用いる衣服を着用したことから)と慕われた。
アイヌの人権を守るため、時の政府と争い、38歳にして職を辞し鶴岡に帰った。
以後、晴耕雨読の生活をし、隠棲の時を過ごした。庄内各地の多くの碑文の選者になっている。
78歳で死去し、鶴岡の安国寺に葬られた。