大宝館展示人物紹介

菅原 喜兵衛 (すがわら・きへえ)

明治36年(1903)〜平成10年(1998)

著名な作曲家中田喜直氏との親交を通じて鶴岡・田川の音楽の普及と振興に尽力した人である。

中田氏が初めて来鶴したのが昭和21年、以来2人は親交を深め多くの学校で音楽教室を開催し、青少年に格調高い本物の音楽を提供し情操教育に情熱を捧げた。

また、昭和27年、中田喜直氏の作曲した名曲「雪の降る町を」は喜兵衛氏が御する馬そりから見た鶴岡のイメージから曲想を得たという。

その後「よい音楽を楽しむ会」を主宰し、第一線で活躍する多くの音楽家を招き各種の音楽会を開催、音楽の普及・振興、さらに、鶴岡市民歌の制定にも尽力し、鶴岡の音楽文化の発展に寄与した。

昭和57年 勲五等双光旭日賞を受章、平成五年 市政功労者表彰を受けた。

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中田 喜直 (なかだ・よしなお)

大正12年(1923)〜平成12年(2000)

本市の音楽文化の向上に多大な貢献をした日本を代表する作曲家である。

昭和21年に初めて鶴岡を訪れ、菅原喜兵衛氏をはじめ地元の音楽愛好家と親交を深めた。以来、多忙な楽曲づくりのかたわら度々本市を訪れては音楽教室等を通して本物の音楽のすばらしさや楽しさを伝え、戦後の子どもたちのすさんだ心に希望と感動を与えた。

小学生の頃から作曲に目覚め、生涯にわたり歌曲、童謡、合唱曲、ピアノ曲を数多く手がけた。昭和27年作曲の名曲「雪の降るまちを」は馬そりから見た冬の鶴岡の情景から曲想を得たという。31年には鶴岡市民歌も作曲し、61年から始まった鶴岡音楽祭には毎年のように参加するなど、永年にわたり、音楽文化の振興、発展、普及に尽力した。

また、日本童謡協会会長をはじめ各種音楽団体の役員、大学教授も務めた。

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佐藤 敏直 (さとう・としなお)

昭和11年(1936)〜平成14年(2002)

日本現代音楽協会の委員長となり現代音楽創作のリーダーとして活躍し、また、郷土の音楽振興にも多大な貢献をした人である。

鶴三中、鶴岡南高校在学時を中心に合唱、ピアノ演奏、指揮や作曲で活躍する。

慶応大学在学中に、第28回日本音楽コンクールに入選し、作曲家を志すようになった。以後民族的な感覚の濃い色彩豊かな現代音楽を継続的に発表し、日本の現代音楽の第一人者として活躍した。

一方、鶴岡土曜会混声合唱団などのために多くの作品を発表し、郷土の音楽振興にも大きく寄与した。特に、混声合唱組曲「旅の途の風に」などは、今でも全国の中学校の重要な演奏曲の一つになっている。

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阿部 武雄 (あべ・たけお)

明治35年(1902)〜昭和43年(1968)

鶴岡の湯野浜に生まれ、放浪の人生を過ごした作曲家である。13歳でバイオリンに親しみ、後に東洋音楽学校に通い、その間も映画館に勤めたり、牛乳配達などをしていた。

昭和8年、31歳で、レコード会社ポリドールに入社するまで、全国各地の劇場や映画館を転々とした。この年、「雨の大川端」の作曲に始まり、翌年の「国境の町」は大ヒットし、続いて数々の曲を作り、多くの人に愛唱された。「むらさき小唄」「お柳恋しや」「妻恋道中」「おしどり道中」「流転」「裏町人生」などである。

晩年は、軍国主義の波で歌謡曲はさびれ、銀座かいわいをバイオリンを弾いて流していた。昭和43年、東京で永眠したが、彼の曲は今日も、人びとに愛唱されている。