
明治11年(1878)〜昭和6年(1931)
日本最初の南極探検のとき、その一員として初めて南極の地を踏んだ人である。
加茂に生まれ、少年の頃から船員になろうと苦労して勉強し、汽船甲種二等運転士の資格をとり、東洋汽船(株)に入社して、外国航路の高級船員となった。
明治43年、白瀬中尉の指揮する南極探検隊に加わり、開南丸(204トン)の航海長として任務についた。探検隊は、翌44年3月10日、南緯80.5度の地点に到達して国威を発揚した。
帰国後は、海運の為に活躍し、その後は後輩指導に力を尽くし、人々から信頼を受けた。
友治の33回忌に有志の人々の力によって顕彰の胸像が建立された。今、水産高校の門の内にあって加茂の港を見つめている。