大宝館展示人物紹介

石原 莞爾 (いしはら・かんじ)

明治22年(1889)〜昭和24年(1949)

旧陸軍中将。軍人ではあるが、全人類の平和を希求した人である。

日本満州蒙古朝鮮中国の五族協和による満州国建国を指導。又、日本満州中華民国提携による東亜連盟の主導。更に、「世界最終戦論」を唱え世界の永久平和を希求した。

予言的人格もあって多くの支持者を得、戦史と日蓮の哲理を支柱として広く一般に思想的影響力を与えた人である。

第二次世界大戦中は、東條英機(時の総理大臣)と意見を異にし戦争体制を批判した。

53才で予備役に廻され、飽海郡西山に移住し、同志を指導して集団農場を拓いた。

「新日本の道標」「新日本の建設」などを著し、農耕一体論を説いた。

趣味としたカメラは有名であった。

区切り

佐藤 鐵太郎 (さとう・てつたろう)

慶応2年(1866)〜昭和17年(1942)

鶴岡市荒町(現山王町)に生まれた。朝暘学校から海軍兵学校に進み、明治25年、海軍大学校丙号を首席で卒業した。その後、日清・日露戦争に従軍し、第一艦隊参謀長、海軍大学校長等の重職を歴任し、明治9年勅撰貴族院議員となる。

戦史研究家として、古今東西の戦史を深く研究し、「帝國國防史編」を著した。当時陸軍が主張した大陸進出論に対抗し、海洋発展という新たな海軍戦略の思想を打ち出して、「海主陸従」の国防方針を主張。わが国が追求すべき外交目的は、太平洋の平和でなければならないと説いた。

戦時中にあって、国防を政治・外交のみならず、経済・社会と多角的な関連でとらえ、島国日本のとるべき道を「海洋国家」、「貿易立国」と説いた人である。

書をよくし、雅号を「藍渓」と称して地元では書家として知られるほか、剣道家として心形刀流・伊庭想太郎に師事した。