
慶応元年(1865)〜大正15年(1926)
「発明は俺の生命だ。俺の一つの病気だ。」
この病気に一生かかりっぱなしになった人が斎藤外市である。
彼の発明は余りにも多く、個々に列挙はできないが、機械関係と軍用機器関係の二つの流れがあると言える。後者では飛行機・潜航艇・各種水雷・飛行機・十連発小銃などあるが、何といってもその中心は織機であった。
より能率的な力織機の発明に着手し、7年かけて成功。更に、当時供給をはじめた電力との結合にも成功して量産を可能にした。
輸出羽二重を電力で製織したのは我が国最初のことである。この織機は大好評を得て県外にも大量に送られ、一時は年間1万台に及んだ。
彼は、他に両羽実業新聞・鶴岡瓦斯(ガス)会社の設立にも関与し、市議会議員としても働いた。
鶴岡公園に胸像がある。