大宝館展示人物紹介

田沢 稲舟 (たざわ・いなぶね)

明治7年(1874)〜明治29年(1896)

若い女性に「自由」のなかった明治時代に、いさましくもこれに体当たりしこれを突き破って自由奔放に生きようとし、ついに敗れた美しい小説家。

文学に熱狂するようになった才女稲舟は、鶴岡にじっとしておれず、図画修行の名目で上京しながら文学にのめりこんでいった。

当時異才新進作家・山田美妙を訪ねて文学修行の第一歩を踏んだが、これが宿命的悲劇の一歩であった。

美妙との恋愛、帰郷、美妙との結婚、破婚、帰郷、煩悶、死と、22年余の波乱の生命を終えた。

死に至るまで2年間の熱狂的文学生活の中で創作した小説五篇に「医学修業」「しろばら」「小町湯」「五大堂」「唯我独尊」がある。当時の一流文芸雑誌に発表された。

彼女の小説は、その曲想、節奏の多様多彩、その大胆なシーンの緩急・抑揚において前人未踏のユニークなものであり、当時の文芸批評家の論議の好題目となった。

内川河畔、三雪橋の付近に胸像と文学碑がある。

区切り

赤木 由子 (あかぎ・よしこ)

昭和2年(1927)〜昭和63年(1988)

本名、富樫菊。子供たちに深い愛情を注ぎ、特に生涯を持つ子への励ましを一貫して続けた児童文学者である。

幼くして両親との死別、異国での戦争体験、帰国して東京での苦難の続いた生活・・・・。

波瀾に満ちた人生の中で文学への道を志した由子は、苦労のすえ新聞・雑誌記者を経て作家となった。

戦争を心から憎み、いかなる差別をも許さない姿勢が数多くの作品ににじみ出ており、大作「二つの国の物語」は、満州(現在の中国東北部)を舞台に、国と国との争いがもたらす惨状を、リアルに描いた戦争児童文学である。

最初の著書「柳のわたとぶ国」をはじめ作品すべてに、子供への思いやりが脈々と息づいている。それが由子の児童文学の世界である。

区切り

横光 利一 (よこみつ・りいち)

明治31年(1898)〜昭和22年(1947)

大正から昭和初期の鮮烈なデビュー以来、常に時代の新しい文学とは何かを真摯に追い求め、作品を通じてそれを世間に問い、ついには「文学の神様」とまで称された。

初期の作品の「日輪」や「蝿」に見られる斬新な感覚と表現は“新感覚派”と呼ばれる文学グループ結成のきっかけとなり、盟友の川端康成とともに時代を風靡した。

昭和2年、師と仰ぐ菊地寛の媒酌で鶴岡出身の日向千代と結婚する。

この結婚により、妻の故郷庄内を心のふるさととし、毎年のように妻の実家を訪れ、湯野浜や由良海岸に遊び、湯田川温泉や温海温泉に逗留し、多くの作品を書き上げたり構想を練ったりした。

この地は「癒し」の場であり「創造」の地であった。

昭和20年、妻の実家に疎開、8月には上郷村西目(現鶴岡市)に疎開し、終戦を迎えた。「ここが一番日本らしい風景だ」と書いた場所であった。生涯最後の名作「夜の靴」の一節である。

鶴岡市西目の山口公民館と東源寺に文学碑がある。