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黒川能の歴史と魅力

森敦の小説の舞台ともなった霊峰月山の麓に黒川地区があります。黒川能は、この黒川の鎮守、春日神社の神事能として、すべて氏子たちにの手によって、 500年ものあいだ*1連綿と守り伝えられてきました。

黒川能は、世阿弥が大成した後の猿楽能の流れを汲み、その意味では現存の五流*2と同系ですが、いずれの流儀にも属さずに独自の伝承を続け、独特の形と中央ではすでに滅びてしまった古い演目や演式*3を数多く残しています。

現在、春日神社の氏子は約240戸。能役者*4は、囃子方*5を含めて子供から長老まで約160人。能面230点、能装束400点、演目数は能540番、狂言50番というように民俗芸能としてはたいへん大きな規模となっています。

昭和51年には、国の重要無形民俗文化財に指定され、生活に根ざした貴重な民俗芸能として全国から注目を集めています。

所仏則の翁の写真
所仏則の翁
 
大地踏の写真
大地踏
区切り

*1…後小松天皇の第三皇子 小川宮が伝えたという伝承説、13〜16世紀、庄内地方を領有していた武藤氏が、京から能役者を連れ帰ったのが始まりとする説等がある。江戸時代のはじめには既に能太夫がいたこと、能楽の維持に難渋をきたしていた記録、室町時代に織られた能装束が残っていること等から少なくとも室町時代末期には発祥したものと考えられる。庄内藩主酒井氏をはじめ歴代領主の手厚い援助に支えられ発展。明治維新や第二次世界大戦など時代の波にもまれながらも、黒川の人々の深甚なる信仰心と能への愛着心により、一度も途絶えることなく今日まで守り伝えられている。

*2…観世・金春・宝生・金剛・喜多

*3…幕府の式楽としての洗練を経た五流の能と、雪の里に根づいた黒川能は、多く重なりあいつつ、またそれぞれの多くの独自性を伝えてきた。黒川の能を見るとき、かたくななまでに古風を守る部分と、五流の能に影響を受けた部分と、伝承に誤差があったものと、どういう系譜か判然としないところと、この4点を思う。笛の役が鼓とは直角に、橋ガカリへ向いて座るのは、橋ガカリの角度が深かった時代の遺風であろう。能の最初に笛が音取(ねとり)を吹くのも古い形だ。小さ刀を差す地謡の統率者が、前列左側に座るのも、脇座に位置を占める地頭(じがしら・リーダー)であった名残である。装束の着けかたにも、多くの古風を残す。能面の掛けかた、唐織の着けかたなどは、どう考えても黒川の方が原形である。(黒川能と狂言 増田正造 著『黒川能の世界』平凡社 より)

*4…氏子が上座と下座の2つの宮座に分かれ、それが同時に能座を形成し、それぞれの能太夫でもある座長を中心に運営されている。

*5…笛方・小鼓方・大鼓方・太鼓方の総称