

以上、致道館教育の要点を概観しましたが、その教育は、生徒一人ひとりの天性に着目し、長所を引き出して個性を育てることの大前提に立って、何事にも積極的に取り組み、じっくり考えて正しく理解し、それを実践に生かす、「思慮深くて行動的な人物」の育成をめざしていたように思います。
こういう教育は、やがて生徒たちの間に、学問を大切にし、行いを慎み、正しいこと、成さねばならぬことに進んで取り組む気風を生み、藩士たちの風紀の乱れも次第に改まっていったといいます。
開校以来、致道館は約70年の歴史を刻みましたが、明治維新の大きなうねりの中でその役割を終え、明治6年(1873)ついに廃校の日を迎えました。

致道館は廃校後、鶴岡県庁、鶴岡警察署、小学校、教育委員会などに転用されましたが、現在は、当時の約半分に当たる70アール余りの敷地に、表御門、東御門、西御門、聖廟、講堂、御入間(おいりのま)が残っている他、昭和58年(1983)の発掘調査に基づいて、養老堂、職員室、終日詰学習室、食堂、台所、諸役人詰所などの跡を平面表示した部分があります。東北地方唯一の藩校建造物遺構として、昭和29年(1954)国の史跡に指定され、昭和39年(1964)の新潟地震による半解体修理を含み、通算10年間にわたる保存修理事業を経て、ハード面では一番落ち着いている時です。昭和60年(1985)から無料で公開しております。

現在、致道館では、講堂の入口に「ひとことノート」を置いて、来館者に自由に感想を書いて頂いておりますが、その中に大阪の男性が書かれた「大宝館での謎が解けました」というのがありました。
大宝館というのは、大正天皇の即位を記念して建てられたもので、今は郷土の人物資料館として、庄内や鶴岡に深いかかわりを持ち、大きな足跡を残された各界の方を顕彰する施設となっております。大阪の方は先にここを訪れ、その後に致道館へ寄られたわけです。
「大宝館での謎が解けました。どうしてこの地にこんなに立派な人々が生まれてきたのか。文学、医学、芸術、教育、農業、工業、書道等々、各方面にすごい方々が目白押しです。こんな昔、封建時代の真っただ中に、個性を尊重する教育があったのです。だから、その根付いた生活土壌が、有能な人たちを苦もなく生んできたのでしょう。当人が努力したであろうことは疑いないことですが、わたしには苦もなくと思えるのです。・・・・・・」
というのですが、先人はともかく、現状はどうなのだろうと案じながら、有難く承った次第です。