

開校時に、藩主忠徳から教師たちへ、教育の目標・方針、指導上の留意点などを述べた命令書である「被仰出書」(おおせいだされしょ)が与えられましたが、その内、祭酒(校長)と司業(副校長)あてのものに4回、助教あてのものに1回、「天性」という表現が見られ、とても重視されていたことが分かります。これは能力差を認め、多様な個性を育てることを意図したもので、現代では至極当然のことですが、19世紀初頭ということを考えれば、極めて注目に値することだと思います。
- 武士の学校だから、学問も武芸も共に優れているに越したことはないが、人には天性得手・不得手があるものだから、教師たちでよく話し合って指導しなさい。
- 一人ひとりの天性に応じて、それぞれを精いっぱい伸ばす教育が大切です。
- 学問にも領域によっては得手・不得手があるというから、よく話し合って、生徒の性質に合うよう指導しなさい。
- 天性による出来・不出来は仕方がないが、指導の偏りによる弊害がないようにしなさい。
- 生徒たちの長短を見極めもしないで、指導が天性に反すると弊害が甚だしいというから、校長・副校長とも相談をしながら指導しなさい。
また、祭酒(校長)の白井矢太夫が、教師たちへ口頭で達したものの中にも、次のような部分があります。
「良いところをほめて伸ばすようにすれば、悪いところは自然に消え失せるものです。悪いところを無理に直そうとして急に責めると、人柄を損ねることがあるから気をつけなさい。だから、教師には馬を扱う御者の心得が必要なのです。」
この「御者云々」は、その馬の個性を知らなければうまく御せないということでしょうから、結局、前記五と同じ意味になるわけですし、また、白井が教師たちに諭したことを別言すれば、子どもの教育に当たって大事なのは、それぞれに応じて、「ほめて、認めて、励ますことだ」と言っているように思えます。
私たちは今、その人らしい生き方や考え方、やり方や表現などを、互いに理解し合い認め合いながら生きてゆく、個性尊重の時代を迎えています。時代が違いますから、一概にどうこう言えませんが、江戸期に既にこういう藩校があったことの意味は、小さくないように思います。