庄内藩校致道館の教育

講師 佐々木茂吉(ささき・しげよし)氏

昭和22年から昭和56年まで教職に就かれ、鶴岡市立朝暘第六小学校長で退職。その後、鶴岡市立明倫幼稚園長を経て、平成2年まで鶴岡市文化財保護指導員として史跡旧致道館の公開業務に携わり、以来、致道館教育を研究するかたわら、その紹介と保存に尽力されている。現在は鶴岡市観光ガイド協議会会長。別項の久保先生河合先生が致道館を訪れた際には案内役を務められた。
 

山形県の日本海側は、古くから庄内地方・庄内平野と呼ばれ、百万石の米どころとして、名だたる庄内米を産してきた豊穣の地です。その中心にあるのが城下町鶴岡市。ここに、皆様からぜひご覧いただきたい、国指定史跡「旧庄内藩校致道館」があります。

初めから藩校建造物として建てられたものの遺構としては、東北地方唯一という貴重なもので、徂徠学(そらいがく)を採用した藩校として知られています。これから、その設立の経緯や教育の特色を概観し、廃校後の動きと現状を見てみましょう。

  1. 設立の事情
  2. 徂徠学の採用
  3. 致道館の教育
    (1) 進学と卒業
    (2) 自学自修と会業 ・・・・・・ 学問は教わるものではない
    (3) 個性の重視 ・・・・・・・・・・ 教師には御者の心得
    (4) 幼年生徒への配慮 ・・・・ 学校は「遊び所」
  4. 心身の鍛練
  5. 学校での生活・・・酒は「眠り薬」?
  6. 学校行事
  7. 蔵書と出版
  8. 廃校から現在まで
  9. 明治以後の藩学・・・「沈潜の風」

****** 講師よりひとこと ******

鶴岡市は、平成9年に亡くなられた作家、藤沢周平さんのふるさとです。
「城下町鶴岡」とは申しますものの、鶴ヶ岡城は天守閣のない平城でしたから、今は本丸・二の丸のお堀と土塁と老杉に、当時の面影を偲ぶことができる程度ですが、町のあちこちに曲がりくねった通りや狭い小路が見られますし、武家屋敷も多少は残っていて、つかの間、海坂藩の幻影を見ることができると思います。
小路を曲ったところで、あの牧文四郎や青江又八郎を見かけたり、門を出てくる三屋清左衛門や嫁の里江に、ひょっこり出会えるかも知れません。
古いものを大事にし、心優しい人々が寄り添って住む町です。ぜひ一度お出かけ下さい。